パークゴルフの基本は、家庭の平和と健康第一だという。
今ではマネージャーがわりのご主人の作ってくれたお弁当を持ってパークに出かける。
「夫婦仲は円満なの」と舌をペロリ。
昨年暮れ、足を痛めて大会をしばらくお休みした。
それだけに加護坊山のさくらカップには、期待するものがあったが、
降雪のため3度目の優勝の夢は消えた。
パーク歴は今年12年目。
ご主人にムリヤリ連れて行かれたのが最初だった。
何度か足を運ぶうち持って生まれた運動神経と才能が開花。
メキメキ音を立てて腕が上達した。
そのヒケツは
「できるだけいろんな人と、いろんなコースを回ること」
と、今でも月の殆んどをコース通い。
おかげで全国にたくさんの友達ができた。
私に先日「今年の夏も行くからネ」と電話がかかってきた。
私はいつもビールをガッポガッポ飲んで、ケラケラ笑い転げる彼女が好きだ。
今年も北海道で会えるかと思うと、今から胸がワクワクする。
(文:遠藤正万)
お客さんから
「よか場所で仕事できてよかったな。あんた長生きするばい」
と言われ、自分でも本当にそうかもと思うくらい
公私は充実しちゃってるという。
小学校から大学までバレーボールひと筋、
福岡大附属若葉高校では、インターハイにも出場した。
とにかく正月以外は休みなし。
土・日曜は県外に練習試合。
「日々努力と監督に言われ、精神的強さを求められた」
と練習に明け暮れた。
当時の辛かった経験が今の裕理江さんを支えている。
長陽パークゴルフ場は今年開場10周年。
オープンからずっと勤務しているがあの頃は若かった?
勿論、自身もパークをしている。
アドバイザーも取得した。
たまに協会の例会にも参加する。
大きな声で言えないが、この前ミラクルがおきて、
3位決定のプレーオフを経験。
負けちゃったけど、日頃の練習の成果を実感した。
阿蘇の良いところは、空気がきれいで水が美味しい。
都会では味わえない、季節感を感じます。
皆さんぜひ阿蘇へ。
長陽パークゴルフ場に遊びに来てください。
お出迎えしますよ、と最後はちゃっかりPRした。
(文:遠藤正万)
いやあまいったね、というから何にまいったのかと思ったら、
先日月刊パークゴルフ新聞にほたて杯の広告を出したら、
ある人から「サインして!」とせがまれちゃった、という。
今やほたておじさんはすっかり人気者である。
そのほたて杯の40回大会が5月3日、えべつ角山パークランドで行われる。
その大会の歴史に彼の努力の集大成を見る思いがする。
あの巨体を揺すって早朝噴火湾からほたてをトラックに満載してやってくる。
そしてユーモア交えズーズー弁の挨拶に笑いがおこる。
ほたては1人2キロの参加賞となるが、当日は炭火でほたてを焼いて喰わせるから、
腹をすかせてこいという。
なんたってあの体つき同様豪気で太っ腹。
面倒なことが嫌いなのに、面倒見がいいから誰からも愛される、いわば特異体質なのだ。
今年7月には、彼のふるさと岩手県二戸市に稲庭高原パークゴルフ場がオープンする。
いま、パークゴルフで故郷に錦を飾るべきオープニング大会を開催する予定だとか。
(文:遠藤正万)
以前から、宮城のH田さんから「吉岡に可愛い女性がいるから、新聞に載せてやってよ」
と聞いていた。
初めての出会いは昨年、千葉県の「東日本パークゴルフ大会」だった。
久しぶりにパークで若い女性を見て、オヨヨと思った。
現在、群馬県吉岡町パークゴルフ場のスタッフとして活躍しているが、
もともとはパークゴルフよりゴルフだった。
「結構飛ばし屋だったんですよう」というが、その腕っぷしを見ればわかる。
パークゴルフでもあまりの豪快なショットでアララの墓穴を掘ることも。
今はほぼ毎日パーク漬け。
今日は東に明日は西へと飛び回っている。
その行動力はパワフルである。
今やその名を全国に知らしめているが、
とくに北海道の一線級パークゴルファーとの交流が深い。
たぶんその知名度はナンバーワンだろう。
今年も5月十勝に来道するが、8月の本紙の大会にも来てくれるだろうと楽しみにしている。
いつもみんなから愛されているが、私は一歩ひいたところでその頑張り屋さんを見守っていたい。
(文:遠藤正万)
子供の頃から将来何になりたい、と夢を持つって素晴らしい。
今回はそんな眩しい一人の若者を紹介したい。
彼の名は佐藤崇弘クン18歳。
雪の北海道勇払郡にある佐藤農園屋内パークゴルフ場佐藤進社長のお孫さんである。
ここ数年、冬のあいだこのコースで、おじいちゃんの手伝いをしている。
その彼がこの3月、地元厚真高校を卒業してモトクロスのプロライダーをめざして、
チームTEスポーツの一員として、埼玉県狭山市に行く。
プロライダーは小学生の頃からの憧れで、すでに道内では2年連続優勝するなどの実績を持つが、
埼玉には日本全国から優秀なライダーが集まってくる。
彼は、「せっかくのチャンスを悔いのないよう挑戦したい」と目をギラギラ輝かす。
パークゴルフはコースでやったけど、結構難しいし運動量もあるし、ボクは好きですよ、という。
「どちらかといえば年配の人のイメージがあるけど、きっかけさえあれば若い人だって
楽しめるスポーツだ」とも。
何年かたって北海道に帰ってきたら、車の整備士になりたいと夢を持つ。
まだあどけなさがのこるこの若さがたまらなく羨ましく思った。
ガンバレ!!崇弘クン!!
(文:遠藤正万)
人間、この世の中で知っている人は多くいても、本当に友人だと言える人は存外少ない。
とくに年をとるとそんな思いがする。
彼は私を何と思うか知らないが、紀光チャンは数少ない分かり合える友人だという気がする。
幼い頃からの付き合いだから55年はたつ竹馬の友である。
先日も関東に行ったときある人から「兄弟みたいですね」といわれ、
冗談じゃないという思いがした。
こんな似てもいない兄弟なんていないよ。
十代の頃、当時「旅」という雑誌で仲間を募り駒草会という山岳会をつくった。
それから、関東の歩ける山はほとんど行った。
彼はパークゴルフのかたわら野球、テニス、水泳、ピンポン(卓球)は、
今でもやっているようだ。
パークゴルフは数年前、私が彼にすすめた。
彼は凝り性だからすぐハマった。
とにかくマメでよく気がつく人あたりがいい人間だから、
誰とでもすぐ仲良くなれる得なところがあるが、
逆に器用貧乏な面もある。
彼は今、「パークゴルフ」という女神に感謝しながら、
本紙の特派員として皆さんに可愛がられている。
今年、73歳である。
(文:遠藤正万)
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